Diary

第21回絲山賞

2025年の絲山賞は大滝ジュンコ著『現代アートを続けていたら、いつのまにかマタギの嫁になっていた マタギ村・山熊田の四季』(山と渓谷社)です。
頼もしくてすてきな女性が書いた面白い本として読むことももちろんできますが、いろいろ考えながらゆっくりと読み返してもとてもいいのです。
山の集落での暮らしは手間がかかります。体力もいる。著者はそれを手応えとして楽しんでいます。とても忙しいけれど、同時に大きな時間のなかをゆったりと生きているようにも見受けられます。
著者は自分の手と直感を信頼して動いてみる人です。もちろん人の話もしっかり聞くのですが、決して他人の言葉では語らない。真摯なものづくりの人であると同時にとても信頼できる書き手だと思いました。
生活と暮らし、情報と知恵、イメージと直感、そういったものの間に、自分が見失っていたとても大切なものがあるような気がします。読む人によって響く場所も異なることでしょう。気に入った場所に立ち返るように私は何度もこの本を読み返し、山熊田のマタギ村を訪れるようになると思います。


2021年から24年

サイト更新を怠っていたので、ここ数年の仕事をまとめてこちらに挙げておきます。(抜けがあるかもしれません)

2021年 1月〜3月「絲山秋子展 “土地”で生きる人々を描く」(群馬県立土屋文明記念館)
    1月「神と黒蟹県」連載(不定期)開始(文學界 23年6月まで)
4月〜8月 群馬女子大にて非常勤講師(21年のみ)
    
2022年 5月『まっとうな人生』(河出書房新社)
9月 蔵書市「絲山の本」(高崎市REBEL BOOKSにて)
     
2023年 2月 文庫『海の仙人・雉初雊』(河出文庫)
3月 作家生活20周年『スピン 3号』にて小特集
 4月「細長い場所」連載開始(文藝夏季号)
5月 文庫『ばかもの』(河出文庫)
9月 文庫『末裔』(河出文庫)
9月 作家生活20周年『文學界10月号』にて特集
9月〜11月「井伏鱒二展 アチラコチラデブンガクカタル」(神奈川県立近代文学館)編集委員
     11月 文庫『夢も見ずに眠った。』(河出文庫)
11月 単行本『神と黒蟹県』(文藝春秋)

2024年 1月 群馬県立沼田高校校歌完成
1月 文庫『御社のチャラ男』(講談社文庫)
4月〜 文化放送「長野智子アップデート」不定期出演
    伊参スタジオ映画祭シナリオ大賞審査員(9月選考会、11月映画祭)


第20回絲山賞

今年の絲山賞は、マーク・ヴァンホーナッカー著 岡本由香子訳『グッド・フライト、グッド・ナイト パイロットが誘(いざな)う最高の空旅』(ハヤカワノンフィクション文庫)です。2016年に出た本(文庫化は2018年)なので私は遅れてきた読者ですが、今年読むことができて本当によかったです。
著者は大型旅客機ボーイング747を操縦する現役のパイロット。この本には飛行機と空の旅、地形や自然、家族や人々との交流について、9つのテーマで書かれています。
小説でも詩でもなく、旅人の書いた紀行文でもない、ノンフィクションの枠にも収まらない。「エッセイ」ということになるのだと思いますが、とにかく文章が美しいのです。豊かで雄弁なのに、過剰なところがない、淡々としているのにあたたかい。翻訳者のセンスや腕前もすばらしいと思います。
世の中には豪華な食材を使ったコース料理のような本も、すいすい飲めて気持ちよく酔えるお酒のような本もありますが、この本は山の水のように爽やかに、体の隅々まで届き、満たされるような読後感です。そしていつまでも忘れられないのです。
読んでいると、とても静かな気持ちに包まれます。そして、その静けさがテキストから与えられたものではなく、自分の内側から訪れたものだと気づいたとき、大きな喜びとくつろぎを感じるのです。


第19回絲山賞

第19回絲山賞は松尾亮太著『考えるナメクジ 人間をしのぐ驚異の脳機能』(2020年 さくら舎刊)にさしあげたいと思います。
私は(本書にはあまり出てこない)ヤマナメクジが少しだけ好きですが、多くの方はナメクジが好きではないと思います。好きになる必要もありません。それでも全人類に読んでほしい! と言いたくなる貴重な一冊です。
タイトル、副題に偽りはありません。
ナメクジはその小さな脳で考え、迷い、学習するのです。「学習」とは「なんらかの経験によってその後の行動が変わること」ですが、ナメクジは高度な論理学習もでき、また記憶力も優れていることが実験によって証明されています。
また、脳の再生やニューロンの新生、体の成長に合わせてDNAを増やすことなど、人間だけでなく多くの動物では考えられないような機能や生存戦略を持った動物だということも書かれています。
これまでの生物学の常識を書き換えるような研究で、今後の脳科学や医学などに応用されるのかもしれませんが、しかし一般読者の暮らしが明日から変わるようなことはありません。
けれども世界を広げてくれるのは、科学でも芸術でも人との交流でも、すぐには役に立たないことなのだと私は思います。「常識と非常識が入れ替わるダイナミズム」と著者は書いていますが、科学者の発見は、心に無意識にかけていたブレーキを外してくれます。驚きが小さな喜びに変わり、最前線の現場で研究や仕事をする人に対して尊敬の気持ちが生まれるとき、世界は少しだけ広がります。自分の経験から得られるものとは違った幸せを感じます。
蛇足ではありますが「なにかつらいことがあると」「目立たぬように慎重に生きる、という堅実なナメクジの生き方」など、真面目に語れば語るほど研究対象への愛が溢れてくる文章もとても魅力的です。


巻き寿司についてのエッセイ 馬事からっ風(62)

このエッセイは、乗馬クラブ高崎が発行している毎月のお知らせ『ぽこあぽこ 3月号』より連載中の「馬事からっ風」第62回を、許可を得て転載したものです。
 
 

かねてから思っていたこと。なぜ鉄火丼はあるのにかっぱ丼や干瓢丼はないのか。
ごはんものは、種類によって守備範囲が違うからです。おにぎりもかなり守備範囲が広い方だと思いますが、巻き寿司(特に太巻き)にはかないません。酢飯を人にたとえるなら「なんでもありだからどんと来い!」と言ってくれる、器の大きなまとめ役です。桜でんぶや高野豆腐といったクラシックな常連だけではありません。マグロやイクラ、カニのような海鮮界の上流階級とも、ツナやカニカマのような庶民とも分け隔てなくつき合います。卵やきゅうり、レタスなど台所のレギュラーメンバーも活躍しますし、アボガド、焼肉、エビフライ、唐揚げ、クリームチーズ、納豆のような個性派も無理なく馴染めるのです。食感で言えば弾力のあるもの、ぷちぷちはじけるもの、さくさくしたもの、あらゆる具材を「大勢で来ても大丈夫!」と受け入れる。味付けのあるなしにもこだわらない。具材が大きくても小さくても、切り方が下手くそでも巻いてしまえば問題ない。そしてすべてを、香りのいい海苔がしっとりと包んでくれるのです。遠慮することなくみんなが受け入れられ、個性を発揮しつつ周囲とも調和している。これこそ多様性の実現、理想の社会ではありませんか。次に生まれてくるときは具材となって寿司に巻かれたい、とまでは思いませんが。

 

スーパーでもらった恵方巻きのチラシに触発されて、ずっと作ってみたいと思っていた太巻きに挑戦しました。一人暮らしのくせに大きな寿司桶は持っているのですが、巻き簾は今回初めて購入しました。スーパーで200円、ずいぶん低いハードルでした。巻き方はYouTubeにいくらでも転がっています。酢飯が雑だったり、お刺身の鮮度が今ひとつだったり、隙間ができてぐすぐすしたり、失敗もありましたが少しずつ上手く巻けるようになってきました。
太巻きの魅力は、巻くときの手応えのおもしろさ、包丁で切った断面の華やかさ、つまみ食いのおいしさ、お弁当に持っていけることなど枚挙にいとまがありません。問題はただ一つ、ごはんが瞬時になくなることです。お米一合で作った太巻き2本が、実感としては0.5秒くらいでなくなります。幸せとは儚いものなのです。
 

(絲山秋子「馬事からっ風」 TRC乗馬クラブ高崎『ぽこあぽこ 3月号(2022年)』より)


第18回絲山賞(2021)

「絲山賞」は、絲山秋子がその年読んだ本のなかで一番面白かったもの、自分には書けないものに対して敬意を表する個人的な企画です。2004年から始めたので今年で18年目となります。これまでの受賞作は「プロフィール→絲山賞について」をご覧ください。

  

第18回絲山賞は藤沢周著『世阿弥最後の花』(河出書房新社)にさしあげたいと思います。
本の詳しい紹介は河出書房新社の公式サイトでご覧いただけます。

  

  
七十二歳にして無実の罪で佐渡島へ流刑となった世阿弥の晩年を描くこの小説は、場面によって語り手が変わります。
世阿弥自身、亡き息子元雅、佐渡の役人朔之進(のちに出家して了隠)、それぞれの語りは、音域も話すスピードも抑揚も異なる「声」として感じられます。文体の変化や補足説明がなくても、読んでいて「あ、この声はこの人」と自然にわかるのです。
読み手は耳を澄ませて語りに集中するだけで、世阿弥の姿を間近に仰ぎ、己や過去、死者の悲しみと対峙する心のなかへと入っていきます。穏やかで探究心に満ちた視線となって佐渡の風景や人々の日常を眺め、かれを慕うたつ丸少年とともに笑っているのです。
しかし何の苦もなく能の舞台が立ち現れ、その世界へ引き込まれて行く感じ、この世に存在しないものと邂逅し、混じり合う感じ、どうしてこれほどの表現ができるのだろうと思いました。
読み終えて考えているうちに、まっすぐに立ち、かろやかに舞っているのは世阿弥だけではないことに気がつきました。作者は太陽や月、蝋燭の光となって物語を照らしながらその場に佇んでいたのです。そして自由自在に人々の語りのなか、心のなかに入って行く。そのふるまいが世阿弥とぴったり重なっているので読んでいるときには気がつかなかったのです。
自然に、あるがままに、自在に、かろやかに。
イメージはできても、これは本当に難しいことです。
作者である藤沢周さんの凄まじい技量とまっすぐな姿勢が、ほかの人には真似できない表現を成し遂げたのだと思いました。クライマックスで感じる、ふわっと包み込まれるようなあたたかさは「花」に触れることの叶った喜びかもしれません。すばらしい作品でした。圧倒されました。


第17回絲山賞

絲山賞は、私が一年間に読んだ本のなかで一番面白かったものに対して個人的に敬意を表しているものです。「自分には書けないもの」を基準に、2004年から毎年12月に選んでいます。これまでの受賞作品につきましては当サイト「プロフィール」から「絲山賞について」をご参照ください。

第17回絲山賞は、西崎憲著『未知の鳥類がやってくるまで』(筑摩書房刊)にさしあげたいと思います。
 

この短編集が出たことで世の中が騒ぎになっていないのが、ほんとうに不思議でたまりません。SF やファンタジーといった枠に納まりきるものでもありません。いくつもの大きな賞をお受けになったあとに、絲山賞で追いかけてささやかなお祝いの言葉を添えられればと思っていたのです。多くの良書に出会えた2020年の読書のなかで、これほど圧倒的だと思わせる作品は他にありませんでした。
西崎憲さんの文章を読むと、私は静かで明るい場所に座っている気分になります。繊細で透明感のある弦楽器の音や、素朴な見た目なのに一口食べれば体のなかが爽やかになる果物を思います。
描かれる短編小説は誰も見たことのない景色や、不穏な事件、謎めいた存在などですが、勢いや力技で書かれたものとは異なります。強靱さと静謐さを兼ね備えた文章はすべて無駄なく、潔く着地しています。これは言葉という素材や余白まで含めた文面の構造をよく知った手によってしかなされない仕事だと思います。そのことに心からの賛辞をお送りするとともに、著者が広げてくれる文学の奥行きを、同時代人としてさらに味わってみたいと思います。
個々の作品のすばらしさについては、敢えて申し上げません。ぜひ手にとって読んでみて下さい。


『妄想書評』

打ち切りとなったエッセイを、地元の印刷会社さんの協力を得てまとめた自費出版の小冊子『妄想書評』が発売となりました。
ネットショップBASE「いとろく」はページ右上のバナーからも入れます。詳細画像もネットショップにあります。
なお、一冊ずつ梱包、宛名書きをしておりますので、お手元に届くまで一週間前後かかることもあります。ご理解いただけましたら幸いです。

 


11月15日(日)オンライン終活セミナー

 
https://youtu.be/Dt8Q-4b4j7U


オンライン終活セミナー、告知動画です

 
告知動画もアップされました。

https://www.youtube.com/watch?v=0eIi1rlXbfo&t=7s


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